菊正宗について 蔵・杜氏

酒蔵と杜氏の地、灘五郷

兵庫県西宮市から神戸市西部にかけての海岸沿いには、宮水の発見以来、数々の蔵が点在。
灘五郷と呼ばれる日本屈指の酒どころとして、杜氏らが伝統の技を競い合ってきました。
しかし戦災や阪神淡路大震災によってその数は減少。多くの木造の蔵が大打撃を受けました。

生酛を守る季節蔵「嘉宝蔵」

10月下旬、小島杜氏らが嘉宝蔵に着任する「総入込み」から、その年の寒造りが始まります。秋から春までの厳冬期にのみ酒造りを行う嘉宝蔵は、最近では珍しい季節蔵。人の手による「手作り」で江戸時代以来の生酛造りが醸し出される半年にわたって、嘉宝蔵では様々な歳時記が繰り広げられます。その冬、最初に米を蒸す「甑始め」に始まり、「酛」の仕込みを祝う「酛始めの祝い」、新酒が出来たことを祝い、蔵内の神棚に報告と醸造安全祈願を捧げる「初揚げのお祓い」。やがて酒造りの終盤には、甑始めからほぼ毎日行っていた蒸米を終える「甑倒し」、酒造りのすべての作業を終えた「皆造」など。毎年同じことがていねいに繰り返されるのです。数々の神事も酒造りならでは。火の神様である清荒神への参拝や、酒造りに関わりのある京都の三社参り、そして宮水の祈願など。酒造りが科学的に解明される前、「神様の力のおかげ」と感謝した心を受け継ぐ嘉宝蔵は、今なお、たくさんの神様に守られて酒造りが行われています。

丹波杜氏 小島喜代輝

菊正宗 名誉杜氏、小島喜代輝。
蔵で酒造りに携わる多くの人々をたばね、めざす味を確実に醸す、嘉宝蔵の最高責任者です。元来、自然を相手とする酒造りはとても繊細で難しいものです。
天候の影響で、米の出来や蔵の状態は年によって少しずつ変わる。それを十分に加味しながら、その年その年の酒造りに加減を加えていくのです。菊正宗が名だたる料理店で高い評価を得ているのは、味の良さはもちろん、年による味のばらつきがなく、高いレベルで安定しているからこそ。それを可能にしているのが、小島杜氏の職人芸なのです。

小島氏は曾祖父から4代続く杜氏の家系に生まれ、嘉宝蔵五番が建設されたその年に菊正宗に初めて酒造りに参加。1年の半分は農業、半分は酒造りに携わる、いわゆる丹波杜氏です。
祖父や父からは、酒造りの技術以上に、仲間と一緒に酒を造る心の大切さをたたき込まれたと言います。「酒造りは、蔵づくり、人づくりやと」。その言葉通り、周りの仲間から慕われる小島を、皆は「やさしさの中にきびしさがある。それがそのまま造る酒になっている」と話します。

DVD「丹波流・生酛造り」より〜小島杜氏インタビュー〜

小島杜氏が生酛造りで最も大切にしているのは、夜の見回りです。深夜、しんと静まりかえった蔵の中で確かめる、もろみの発酵の音。酒母のかおり。五感をフルに働かせて行う、もろみとの対話。「水、米、酵母に対する愛情の掛け方とゆうかね…それが積み重なって技になっていくと思うんです。口にふくんだときに、コクがある。それが旨い味に通じて、キレがある。それにつきるじゃぁないですかね…」。

小島杜氏がこだわる「押し味」のある「秋晴れ」の酒とは、辛さと甘さのバランスがよく「うま味が残って、う~んとうならせる味わい」。かつては35もの蔵を有し、それぞれ力のある杜氏が腕を競っていた菊正宗。歴代の杜氏や技術者には、全国杜氏組合の会長や酒造研究の権威など日本の酒造りを牽引してきた錚々たるリーダーたちが名を連ねています。その流れをくみ、酒造りへの情熱と誇りを受け継ぐ小島杜氏。
丹波杜氏組合の組合長を務め、生酛造りで名高い地方蔵からも教えを乞いに訪れる、当代切っての磨き上げられた技が、嘉宝蔵を支え、菊正宗の本流辛口を守り続けます。 また、全国の酒蔵にも生酛造りの技法を教授し、後世への継承に力を尽くしています。

名誉杜氏 小島喜代輝(おじまきよてる)

兵庫県篠山市出身。代々、丹波杜氏として「丹波流」を引き継ぐ現役杜氏。
昭和33年、最初の入込先として菊正宗へ。以来50年間、酒造りに携わる。
平成3年より杜氏に。平成20年黄綬褒章受章。