3/19~3/23 クミコさんの回

松本:今週のゲストは、シャンソン歌手のクミコさん。9月26日茨城県水戸市のお生まれです。1982年、シャンソンの老舗「銀巴里」のオーディションに合格。シャンソン歌手としてスタートされました。1990年、銀巴里が閉店後、歌手以外の活動を模索するもやはり続けていくことを決意、2000年に再デビュー。芸名をカタカナのクミコに改めました。アルバム収録曲「わが麗しき恋物語」が聴くもの全て涙する歌として大反響となり、2003年急遽シングルカット。シャンソンとしては異例のヒットとなり注目を集めました。昨年リリースしたデビュー35周年アルバム「デラシネ」は日本レコード大賞で優秀アルバム賞に輝きました。そして今月7日には新曲「最後だとわかっていたなら」をリリースされました。

クミコ:なんだかプロフィールって、ちゃんと生きてきたように聞こえますねえ。ありがとうございます。人生で順風満帆なんてないし、今だって。

一之輔:大学は早稲田大学だったんですよね。学生時代の思い出を聞かせてください。

クミコ:バンカラな校風を期待して入学する人が多いと思うんですけど、そんなに面白い、ぶっ飛んでいる人はいなかったですね。冒険しないタイプというか。学校案内に演劇サークルがあると書いてあったので、むちゃくちゃでぶっ飛んだ学校の演劇部かと思っていたけど全然で。大隈講堂の裏側に「劇団木霊」という不条理劇ばかりやっている劇団があり、そこにしばらくいたんです。でも歌うシーンで歌ってみたら、歌って自分をこんなに開放できるんだと気づいちゃって、やめちゃいました。
勉強?考えたこともなかったですね(笑)

一之輔:芸名の“クミコ”の名付け親でもある松本隆さんについて。

クミコ:永六輔さんとのご縁があって、前座などで使ってもらっていたんです。その時は本名の高橋久美子。その時に「名前が平凡すぎて覚えられないよ」と言われて、下の名前だけカタカナの高橋クミコ、にしたんです。そうしたら再デビューのタイミングで松本隆先生に「なんであなたはいつまでも別れた亭主の名前をつけているんだ」と言われて、クミコになったんです。松本先生とはもう18年のおつきあいになりますね。再デビューでプロデュースいただいたとき、16ビートに私が乗れず、何度も指摘されるから逆ギレして「じゃあやってみてよ」と言ったこともありました。私がポップス的なアプローチをやってきていなかったのでできなかったんですが、バンドなどではきちんと守らないと失礼になるということを学びました。

一之輔:お酒にまつわるお話を。お好きですよね。

クミコ:まあ、一之輔さんくらいの年齢の時はかなり飲みましたよ。お酒の失敗もたくさんありますし。失言しちゃうんですね。松本隆さんにも口を滑らせたことがありましたけれど…可愛がってくれるってことは、私の人間力?(笑)。今は一人の時はお酒は飲まないんです。一時期は酔うと物を投げる癖がありました。自分の結婚式でもやっちゃったりして。

松本:さてこのほろよい亭では、実現の可能不可能に関わらず、この人とお酒を飲みたい、という人をあげてもらっております。

クミコ:プーチンさんですね。面白そうじゃないですか。お酒を飲んだらどんなふうになるのか。

一之輔:最後に最新シングル「最後だとわかっていたなら」のお話を聞かせてください。

クミコ:アメリカの詩人、ノーマさんが息子さんを亡くした時、悲しみを捧げるために作った歌だったんです。同時多発テロの時に、チェーンメールのように歌詞が世界に広がって。そうしたらこの詩にメロディがあることを知って歌おうと思ったんです。
自分も10年前なら歌えなかったかもしれません。両親の世話も日々重くなってきて、「最後」という言葉をリアルに感じてきた今だから、自分への励ましにもなるしみんなで頑張りましょう、という気持ちで歌えるんです。昨日と同じ今日、がくることは奇跡ですよね。