2/15~2/19 新田恵利さんの回
今週のゲストは歌手でありタレントの新田恵利さんです。
1968年3月埼玉県のお生まれです。1985年、当時の10代に圧倒的人気を誇った伝説の番組『夕焼けニャンニャン』から誕生した女性アイドルグループ『おニャン子クラブ』の会員番号4番として、芸能活動を開始され、その後社会現象にもなりました。その中でも新田さんはグループの絶対的エースとして抜群の人気を誇りました。デビュー曲『冬のオペラグラス』はオリコン初登場1位を獲得、現在はドラマ、舞台また執筆活動もされています。
『夕焼けニャンニャン』、伝説の番組ですよね。
「学校の帰りに番組に出て…という生活。部活をやめた子もいましたね。グループからのソロデビューは3人目ですが、実は1回パスしてるんです。忙しくなるのもいじめられるのも嫌だったので(笑)」。
当時の衣装も印象的ですよね。
「セーラーズやヒップスロード、みんな買いにいってくれていましたよね。私たちが一度着た物はいただけるんですけれど、それを着て外に出るわけにはいかないのでだいたい皆親戚にあげるなどしていました。私もプライベートは地味にして、人のいない場所に行っていました。司会の片岡鶴太郎さんや曜日レギュラーのとんねるずさんは裏表のない方々。とんねるずさんは若かったし、裏でも番組でもイケイケでしたよね。いろいろな大人に囲まれて、私が思っていたことは“この業界の人とは絶対に結婚しないぞ”ということでした。それもあって、まみちゃん(高井麻巳子)が(プロデューサーの秋元康氏と)結婚した時には本当に驚きました。スポーツ新聞で知ったんですよ!」。
ニッポン放送でも当時番組をやられていましたよね。
「制服でスタジオに来ていましたね。でも当時から物申したいことがあったんです。他のこの番組タイトルはかわいいのに、私の番組は『新田恵利のみーんなわがまま』。どうして?って思っていました。確かにわがままでしたけど(笑)。ラジオでのおしゃべりは大好きでした。本音が言えるから。マイクに向かって話すのは、テレビの生放送で慣れていたので緊張しませんでしたよ」。
お酒についてお聞かせください。
「私は時間が合わず参加できなかったんですが、おニャン子のメンバーでのランチ会が先日あったんです。後日聞いたら、お昼からお酒を飲んでいたとか…。(国生)さゆりちゃんはお酒強いですね。昔は年の差やグループ加入タイミングの差でお話しないメンバーもたくさんいましたが、時と共に境遇も変わってきているので、共感し合えるようになったりして、大人になってからの方がみんな仲良くなった気がします。“実はあのとき…”なんていう話もありますよ。例えば、あるメンバーは新たにメンバーとして入ってきた子に『海外に撮影に行く時は下の毛を剃らなきゃいけない』と嘘のルールを教えたりしていたらしく(笑)。からかうつもりだったらしいのですが、後輩は真剣に悩んじゃいますよね。一緒にお酒を飲んでみたい相手は紫式部。私も本を書くので、そんなお話を聞いてみたいです」。
介護についてのご活動もされていますね。
「はい、一昨年秋に今87才の母が骨粗しょう症による背骨の圧迫骨折で寝たきりになってしまったんです。動けない、というだけで、頭もはっきりしていますし内蔵も元気なんですが。時々私が忙しくバタバタしていると『お母さんがやっとくから!…あ、できないか』なんていうような、明るい母です。年をとると日々体調の変化がめまぐるしく変わるので、そのアップダウンには気をつけています。介護についての講演も47才にして初めてやらせていただきました。武道館ソロコンサートを体験している私ですが、その時の100倍緊張しました!今後も講演の予定があります。活動はブログ“新田恵利のKIND CARE”でもご覧いただけますので、ぜひ見てください」。
新田恵利さん、ありがとうございました!
2016 年 2 月 23 日 | カテゴリー: 番組採録