時代に流されず、
生酛の辛口を継承する。

生酛で造られた日本酒は、雑味がなくコクとキレのある辛口が特長。しかし、戦後の食糧不足により人々は甘いものを欲し、日本酒も甘口を求める傾向が高まってきます。しかも、生酛は手間のかかる製造方法です。合理的に人々が求める酒を提供できる速醸酛に多くの酒蔵が切り替えたのは自然な流れでした。

時代が変わったとはいえ、それに流されてしまっては江戸時代から続く生酛の酒造りが廃れてしまいます。そして、安定して製造できなければ、灘酒の本流である“本物の辛口”をお客さまにお届けできなくなってしまう。菊正宗は時代にあらがっても伝統の製法を守り続けることを決意し、昭和33年(1958年)には手間と時間を惜しまない生酛での酒造りをとり行う「嘉宝蔵」を完成。さらに、平成24年(2012年)には四季醸造蔵で造る上撰本醸造もすべて生酛にしました。

「嘉宝蔵」で
菊正宗の生酛が息づく。

秋が深まり六甲おろしが肌を刺すころ、菊正宗の「嘉宝蔵」に杜氏に連れられた蔵人が集まります。嘉宝蔵は厳冬期のみ稼働する今では珍しい季節蔵で、蔵人たちは半年近く寝食をともにしながら生酛造りで酒を醸していきます。

昔ながらの生酛の製法にこだわる嘉宝蔵での酒造りのなかには、菊正宗が独自に培ってきた流儀もあります。例えば、前日に仕込まれた蒸し米と米麹、水を仕込んだ半切り桶に蔵人たちが入り、一斉に踏んでいく「酛ふみ」。酛すりや山卸とも呼ばれる米や米麹をすりつぶして乳酸菌や酵母が育つ環境を整える生酛造りでは重要な作業で、通常は櫂を使います。嘉宝蔵でも同様に行っていましたが、ある日、当主に隠れて踏んでみた猛者が現れ、その結果うまい酒に仕上がったため菊正宗の酛づくり工程として取り入れられたのです。

菊正宗では生酛造りの道具にも敬意を示し、大切に扱うことはもちろん修理しつつ使い続けることを蔵人みんなで心がけています。このようにして受け継がれてきた道具は、上質な日本酒を醸す微生物の長年の住み処となり、最近の研究で酛ふみを行う半切り桶に時代を越えて生き続ける乳酸菌が存在することがわかっています。

受け継ぎ、未来へつなげる
菊正宗の責任。

現在では、生酛造りをしている酒蔵は数えるほど。嘉宝蔵の規模で製造しているところは、おそらく存在していません。しかしながら、最近の日本酒ブームとともに生酛への関心が高まり、造り方を学びたいと各地の杜氏や酒造りに興味を持つ若者が嘉宝蔵を訪ねてくることも増えてきました。

伝統を継承してきたものには、それを広め、未来へつなげていく責任があります。生酛で酒造りをする蔵がひとつでも増えることを願って、嘉宝蔵を来訪いただいた方を歓迎し、製造方法など包み隠さずお教えしています。

すべては生酛の旨い日本酒を、いつの時代でも当たり前に飲んでもらうために。菊正宗は受け継いできた生酛造りの技術・道具を大切にし、後継者を育んで、次の世代へ継承していきます。