お燗研究所

ふぐひれ酒 骨酒など、いろいろ・・・

これからの時期、ふぐのおいしい季節ですね。ふぐといえば、ふぐひれ酒が有名です。
ふぐのひれ酒は、いったいどうやってつくればよいのでしょうか?
ここでおいしく簡単にできる”ふぐひれ酒”をご紹介します。

ふぐのヒレ酒

 ふぐ料理を出す店によって作り方は微妙に異なっていますので、「これが正しい方法」というようなものはありません。大きく違うところは、「火をつけてアルコールを飛ばす」か「火をつけない」かというところですが、飲む人の好みで選んでください。

 アルコール度を低くして、飲みやすいスープのようなヒレ酒を好む方は火をつけた方が良いでしょう。しかし、しっかりしたお酒として飲みたい方は火をつけない方が良いでしょう。また蓋をして火を消すタイミングを計れば、味の調整もできます。

 ヒレは厚みのあるもの、3cm角の大きさなら2枚ぐらいが1合の酒に適当な量です。少し焦げるくらいしっかり焼くと生臭くなりません。お酒の温度も60℃以下だと生臭さが出るかもしれません。

75~80℃くらいの超熱燗がお勧めです。

 湯呑みに焼いたヒレを入れて超熱燗を注ぎ、すぐ蓋をして3~5分ほどでできます。最初は熱いですから、気をつけて飲んでください。ヒレは取り出しても良いし、浸したままでも飲めます。二杯目はもう少しぬるめの燗を注いでも大丈夫です。ただし、二杯目は一杯目ほどエキスは濃くありません。

 ヒレ酒は、ヒレに含まれるアミノ酸などの旨味成分が酒に溶け出し、特有のおいしさを作ります。

フグ以外に白身魚のアマダイやタイのヒレが使われることもあります。

 

骨酒

  焼いたアマダイなどの骨を火にかけて焦がし、熱燗の酒を注ぎます。骨や骨髄から旨味が溶け出し、お酒とよく合います。白身魚のヒラメ、タイなどが使われます。また、イワナなどの淡水魚そのまま一匹をカリカリになる程度に良く焼き、焼きたてを大鉢などの器に入れ、熱燗を注いで作るのも骨酒といいます。一般的にヤマメ、ハヤ、アユなど川魚が使われますが、焼く時に塩を振り過ぎないように注意してください。ふぐのヒレ酒同様、しっかりと焼き、75~80℃くらいの超熱燗を使うと生臭くなりません。

燗酒はじめて物語

燗酒の歴史

 お酒を温めて飲むことは、奈良時代頃から行なわれていたようで、平安時代には貴族社会で広がりました。民衆に広く普及していったのは江戸時代中期以降と考えられています。

 

燗酒の始まり

 日本における燗酒の記録として最も古いものは、万葉集の『貧窮問答歌』にあります。

 歌人山上憶良は「…すべもなく 寒くしあれば 堅塩(かたしほ)を取りつづしろひ 糟湯酒(かすゆざけ)うちすすろいて…」と詠んでいます。このことから、7世紀には「酒粕をお湯で溶いて暖をとる」ということが庶民のあいだで行なわれていたことが伺えます。

 平安時代の延喜式には、お酒を温めたと思われる「暖酒料炭一斛」という記載があります。炭の支給についての記述ですが、「暖酒」とありますからお酒を温めるために用いる炭のことでしょう。

 同じ延喜式に、お酒を温めた鍋だとされる「土熬堝(どこうか)」という文字も見られます。この鍋はおそらく直接火にかける「直燗(じかかん)」用の鍋だと思われますが、どのような形をしていたのかははっきりしていません。ともかく、この頃から温めたお酒を飲んでいたのは確かなようです。

 また、平安時代に貴族の間で広く読まれた、中国の白楽天(はくらくてん)の詩集『白氏文集(はくしもんじゅう)』には「林間に酒を煖めて紅葉を焚く」という有名な詩句があります。そのようなことに影響を受けたのかもしれません。

 お酒を温めて飲むことは、昔から季節によって行なわれていたらしく『温古目録』や『三養雑記』には、「暖酒(あたためざけ)重陽宴より初めて用ふるへし」とあります。ということは、旧暦の9月9日、菊の節句(現代の10月初旬頃)から、翌年の3月3日、桃の節句(現代の4月上旬頃)まで、主に冬の期間に飲んでいたようです。

 一年中温めたお酒を飲む習慣は、手軽に燗がつけられる瀬戸物の酒器が一般的になる江戸中期頃からだといわれています。

山上憶良・やまのうえのおくら(660頃~733頃):奈良時代前期の歌人。

貧窮問答歌・ひんきゅうもんどうか:

風雑(まじ)り雨降る夜の雨雑り雪降る夜は、すべもなく、寒くしあれば、

堅塩(かたしほ)をとりつづしろひ、糟湯酒(かすゆざけ)うちすすろひて、

しはぶかひ、鼻びしびしに、しかとあらぬ、ひげ掻(か)き撫でて、

我れをおきて人はあらじと誇ろへど、

寒くしあれば麻衾(あさぶすま)引き被り、

布肩衣(ぬのかたぎぬ)ありのことごと着襲(きそ)へども、寒き夜すらを、

我れよりも貧しき人の父母は、飢ゑ凍ゆらむ、

妻子どもは乞ふ乞ふ泣くらむ、

この時はいかにしつつか、汝が世は渡る

 

延喜式・えんぎしき:弘仁式・貞観式以降の律令の施行細則を取捨・集大成したもの。全五〇巻。

三代式の一。延喜5年(905)醍醐天皇の勅により藤原時平・忠平らが編集。

律令政治の基本として編集されたもの。宮中の年中行事や制度などについてしるされている。

燗酒の意義

みなさん明けましておめでとうございます。お燗研究所です。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

今年は元旦から全国的に寒さが厳しいようで、燗酒を召し上がった方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

さて、今年最初のテーマは、「燗酒の意義」についてです。

はたしてどのような理由からお酒を温めて飲むような習慣が根付いたのでしょうか。

 お酒の語源の一つに「風寒邪気を避ける」という意味から「さけ」と呼ばれるようになったとの説があります。

昔は現在より気候が寒冷だったようです。そのうえ紙と木と土から作られた昔の日本人の住まいは、すきま風が入り保温性が低く、寒い季節にはお酒を温めて飲むことが身体を温める大切な手段の一つだったようです。

 また、貝原益軒の『養生訓』※に見られるように東洋的な医学思想を背景にした自然な食法などの考えに沿って、温かい飲み物は身体に良いとされたのでしょう。

 「甘・酸・辛・苦・渋」の「五味」がほどよく調和した日本酒は、温めると味わいが豊かになるとともに飲み口がまろやかにおいしくなり、料理との相性が広くなるという特長があります。

 秋から冬にかけて豊かになる我が国の海の幸や山の幸のおいしさを温かいお酒がより一層引き立ててくれることを知っていたからでしょう。陶工や窯場の増加と焼き物技術の発達にともなって徳利、盃、炭を用いる火鉢などが普及していったことも関連があったのかもしれません。

 江戸時代後半から一年中燗酒を飲む習慣が一般的になったようですが、お酒を温めて出す「燗をした」という行為が、「一手間かけてもてなした」という意味を持っていたようです。その時代には、冷たいお酒のままお客様に出すことは、心がこもっていない失礼な態度だという考えもあったようです。

以下、燗酒の意義を簡単にまとめると、・・・

①寒い季節に身体を温める

②東洋的な医学思想から温かい酒は健康に良い

③お酒の味が豊かに、まろやかに感じられる

④料理との相性がひろがり、おいしさを引き出す

⑤一手間かけることで“おもてなしの心”が伝わる

 このように、お酒を温めて飲む「燗酒」は今日まで続いてきた文化性の高いお酒の楽しみ方なのです。

 季節の変化、気候、料理、器、雰囲気など様々なT.P.O.にあわせて燗酒を楽しむことは「生活のうるおい」であり「生活のゆとり」であるとも言えるでしょう。

※貝原益軒・かいばらえきけん(1630~1714):

江戸時代前期の儒学者、本草家、庶民教育家。筑前国福岡藩士。名は篤信、字は子誠。通称は柔斎。号は損軒、晩年に益軒と改めた。

※養生訓・ようじょうくん:

全8巻。養生書であり医学書でもある。貝原益軒の著書の中で最も有名なものである。

益軒は、死去する前年84 歳の時に本書を著し、自らの体験に基づいて、精神的修養と自然療法による健康法を示した。「元気を保つ」ことを基本理念とし、摂生による健康維持を説いた本書は、老年期の精神衛生の書として、今日でも愛読されている。