第9巻 日本酒の歴史(後)
伊丹・池田の酒造り

江戸時代の初めに有名になったのが、摂津の鴻池池田そして伊丹の酒でした。
江戸中期までの仕込は、米に対して汲水の量が少なく甘口で粘りの多いものでしたが、この頃の伊丹の酒はアルコール分の多い辛口の酒でした。
16世紀の後半は「南都諸白」が人気で他を圧倒していましたが、17世紀後半になると「諸白(もろはく:麹米も掛米も白米を使用する製法)」といえば伊丹・池田の酒も含めて呼ぶようになりました。

初めて酒造株(酒造用米数量を記載した「株札」で、この所有者にだけ株高の範囲で酒造が認められた)が制定された明暦3年(1657年)、当時池田では38軒の酒屋で計11,232石の酒を造っており、中には1,032石もの酒を造った満願寺屋をはじめ4場の千石造り酒屋がありました。
元禄15年(1702年)の記録では、伊丹で5万石の酒が造られ、その最大は一文字屋の2,488石です。
当時の全国平均が1軒あたり33石4斗ですから、伊丹・池田の酒屋がいかに大規模だったかが分かります。

株札(菊正宗酒造記念館 蔵)
写真左;表側
写真右;裏側

●伊丹の諸白造り
麹造り 蒸米に種麹を付け床もみ時に、木灰等を混ぜ雑菌の繁殖を抑えて、以降は麹蓋を用い2日間で出麹。現在の麹造りとほぼ同様です。
もと造り 「生もと」以外にも「漬もと」「煮もと」がありました。前者は「菩提泉」の系統で現在の速醸もとに近く、後者は乳酸を添加しない高温糖化もとのような酒母です。
醪造り 汲水歩合が小さく甘口で濃厚な油のような酒。脱酸、中和、不純物吸着のため「直し灰」を圧搾前に醪に投入、また殺菌のために「火入れ」も行われました。

文字の表記について「生(きもと)づくり」(もと)」という漢字は、酒造用語に使われる特殊な文字で、パソコンの表示フォントに含まれていませんので、このコーナーでは、特別な場合を除き、ひらがなで「もと」と表記させていただきます。



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