第7巻 日本酒の歴史(後)

伊丹・池田の酒造り

江戸時代の初めに有名になったのが、摂津の鴻池と池田そして伊丹の酒でした。
江戸中期までの仕込は、米に対して汲水の量が少なく甘口で粘りの多いものでしたが、この頃の伊丹の酒はアルコール分の多い辛口の酒でした。
16世紀の後半は「南都諸白」が人気で他を圧倒していましたが、17世紀後半になると「諸白(もろはく:麹米も掛米も白米を使用する製法)」といえば伊丹・池田の酒も含めて呼ぶようになりました。

初めて酒造株(酒造用米数量を記載した「株札」で、この所有者にだけ株高の範囲で酒造が認められた)が制定された明暦3年(1657年)、当時池田では38軒の酒屋で計11,232石の酒を造っており、中には1,032石もの酒を造った満願寺屋をはじめ4場の千石造り酒屋がありました。
元禄15年(1702年)の記録では、伊丹で5万石の酒が造られ、その最大は一文字屋の2,488石です。
当時の全国平均が1軒あたり33石4斗ですから、伊丹・池田の酒屋がいかに大規模だったかが分かります。

株札
(菊正宗酒造記念館 蔵)


  • 表側


  • 裏側

伊丹の諸白造り

麹造り

蒸米に種麹を付け床もみ時に、木灰等を混ぜ雑菌の繁殖を抑えて、以降は麹蓋を用い2日間で出麹。現在の麹造りとほぼ同様です。

酛造り

「生酛」以外にも「漬酛」「煮酛」がありました。前者は「菩提泉」の系統で現在の速醸酛に近く、後者は乳酸を添加しない高温糖化酛のような酒母です。

醪造り

汲水歩合が小さく甘口で濃厚な油のような酒。脱酸、中和、不純物吸着のため「直し灰」を圧搾前に醪に投入、また殺菌のために「火入れ」も行われました。