第2巻 日本酒の原料

宮水の発見

宮水が酒造りに最適の「霊水」として知られるようになったのは、「櫻正宗」の祖・山邑太左衛門の功績によっています。

当時、山邑家は西宮と魚崎で酒を造っていましたが、西宮の蔵のお酒が魚崎の蔵よりも常に優れていました。杜氏・蔵人を入れ替えたり、原料米を同じにしたり、何年もかけていろいろとその原因を調べていましたが、天保11年、西宮の「梅の木井戸」の水を魚崎の酒蔵に運んで仕込んだところ、西宮の蔵と同様の優秀で良質なお酒が得られました。このお酒は江戸でも大評判となり、原因は仕込水にあることが分かり、以後、灘の各酒造家は競って西宮に井戸を求め、仕込水として宮水を使うようになりました。

そのため、西宮に宮水井戸を持たない酒蔵に宮水を売る「水屋」という西宮独特の商売も生まれました。

宮水記念碑