樽酒の歴史は、灘の酒、いや日本の酒の歴史でもあります。
お殿様にも、市井の人々にも愛されてきた「うまい酒」は、時代の波にもまれながらも変わらぬうまさを今に伝えてくれます。
日本酒が大きく広まった江戸時代、すべてのお酒は樽酒でした。
なぜなら、樽はお酒を運ぶ容器だったから。それ以前は壺や曲げわっぱが使われ、木をまっすぐ削れるカンナが登場してから今の酒樽の形になったといわれています。
当時は単なる容器であったため、「樽の香りをつけて、おいしくしよう」という考えはありません。また、江戸のころは家屋や道具類のほとんどが木製。町中に木香が漂っていたため、お酒に香りが移っていても気にならなかったようです。とはいえ、江戸でブームになった灘の酒は、何日も樽の中で揺られて運ばれた酒。江戸っ子たちは知らず知らずに、“杉の香りがついた酒”がおいしいことを感じとっていたのです。
いつの時代でも、人が集まるところにはお酒があります。そして、楽しく飲むためには”うまい酒”が必要です。良質な米と水に恵まれ、技術も優れていた灘の酒は樽廻船と呼ばれる千石船で江戸に運ばれ、上方からの「下り酒」として人気を博しました。
江戸の酒文化の中心となった灘酒は、「下り酒」として愛されました。江戸に運ばれないお酒はくだらないお酒といわれ、「くだらない」の語源ともいわれます。いいお酒は、人々の喜怒哀楽に寄り添って生活に彩りを与えてくれるもの。きっと、城中のお殿様も、町で暮らす庶民も、うれしいことがあれば陽気に飲み、つらいことがあればやけ酒をする、そうやって灘の酒、つまりは樽酒を楽しんでいたのではないでしょうか。
千石船に積まれた樽詰めされた日本酒
灘から江戸へ酒樽を運んだいわゆる樽廻船(たるかいせん)。
江戸っ子を魅了してきた樽酒も、時代の変化には抗えませんでした。樽は運搬のための容器であるため、扱いやすく安価な「びん」の普及とともに減少していきます。しかし、無機質なガラス容器は元々のお酒の味をそのまま保つことができても、樽酒のように芳香をプラスすることはできません。「昔ながらの香り高い樽酒を家庭で手軽に楽しんでもらいたい」、そんな想いが樽で寝かせた酒をびんに詰める「樽びん」を誕生させました。樽びんの魅力は手軽さだけではありません。樽詰めの酒は貯蔵する期間によって香りがつき過ぎてしまう場合がありますが、びん詰めにすればそれを防げる。いつでも、”一番おいしい”状態の樽酒が楽しめるのです。
貧乏徳利
庶民がお酒を持ち帰るために使った徳利。殿様は樽ごと庶民は量り売りでお酒を買っていた。
角樽(つのだる)
祝儀の際に酒を入れるのに用いられる角樽。取っ手が角のように大きいのが特長。