樽酒が料理におよぼす影響

日本料理を真に引き立てる、樽酒の実力を知る。

日本酒と日本料理は本当に合うのか?その疑問からはじまった。

「うなぎには樽酒が合う」といわれている。うなぎは江戸時代後期に江戸で誕生した蒲焼きによって一般的に普及したとされているが、甘辛いタレがしみ込んだうなぎの濃厚な味わいに、さわやかな杉の香りがほのかにする樽酒は確かにしっくりと合う。また、同じように江戸でブームとなった寿司や蕎麦も日本酒とともに楽しまれることが多く、江戸時代には日本酒と和食の相性の良さが認められていた。

そもそも江戸時代の日本酒はすべてが樽酒。そして、江戸で飲まれる酒のほとんどが灘や伊丹から樽廻船で運ばれた下り酒であったという。上方から5日〜10日をかけて運ばれている間に杉の成分が程よく溶けだし、風味が増した樽酒は料理に合うと江戸っ子に好まれたが、それは人々の食経験から導かれたもので科学的な根拠は存在していない。通説だけで定説のない“日本酒×日本食”の組み合わせは本当に合うのか? その疑問を科学で解明すれば、日本の食をもっと楽しめるのではないかと考え、今回の調査を実施した。

油に働きかけ、脂っこい料理をすっきりと。

樽酒と相性が良いとされている「うなぎ」の特長は、こってりとのった脂。うなぎの脂は濃厚な旨みのもとではあるが、ややもすればくどさにもつながる。“樽酒がうなぎをおいしく食べさせるのは、脂っこさを軽減させているから”という仮説のもと、樽酒と油の関係を調べてみた。

実験では、脂っこい料理の代用としてマヨネーズを使用。まずは口の中の感覚強度を知るために、マヨネーズを食べたあとに水や樽酒以外の酒、そして樽酒を飲んでもらう官能試験を実施。口の中に油が残っている感覚を五段階で答えてもらうと、樽酒を飲んだあとは残油感が軽減する傾向が見られた(※図1を参照)。

図1.口中の油の感覚強度に関する官能試験

このことから樽酒は油を洗い流す働きがあると考え、酒と油の間の界面張力を樽酒と樽酒以外のお酒(対照酒)で測定(※図2を参照)。樽酒は対照酒と比べると油との間の界面張力が弱く、油を乳化しやすいことが判明した。洗剤が油を乳化させて汚れを落とすように、樽酒も口の中で油を乳化させて洗い流す効果がある。そのため、脂っこい料理をさっぱりと食べさせることができると考えられる。

図2.清酒と油の界面張力測定結果

旨みが増強!魚料理を食べるなら、樽酒とともに。

2013年にユネスコの無形文化遺産に登録されたことにも後押しされ、世界的に和食がブームとなっている。海外で断トツの人気を誇る和食といえば「寿司」。日本でも寿司と日本酒の好相性は知られているが、要因はどこにあるのか?

主たる寿司ネタは、魚介である。また、カツオや貝など魚介類には和食の特長である“旨み”を豊富に含んでいるものが多い。味認識装置を使用して食品の旨みと樽酒の関係を分析してみると、樽酒は対照酒の酒に比べて魚介類の旨味、後味を増強することがわかった(※図を参照)。前述のうなぎの蒲焼きはもとより、まぐろの刺身やあさりの酒蒸しなど「魚料理」のうまさを高めるサポートを樽酒がしており、また、カツオだしが基本となる「そばつゆ」でも同様の結果を見られた。おもしろいのは、同時に行った「牛ステーキ」での実験では効果が得られなかったこと。樽酒も他の酒も牛ステーキの旨みを損なうことはしないのだが、高めることもないのである。

今回の検証から、和食と日本酒には相乗作用があり、江戸時代から人々が自身の食経験の中で培ってきた味覚の文化は確かなものであったと証明することができたのではないだろうか。

味認識装置による清酒と食品の旨味分析

樽酒を絶やさないために。菊正宗の取り組み。

樽酒がなぜ口の中の油を洗い流し、魚介類の旨みを高めることができるのか。残念ながら、まだわかっていない。樽に使用している杉の成分が酒に影響を与えているように推測されるが、確証はないため、今後の研究で明らかにしていきたい。

製造に手間もコストもかかる樽酒は時代とともに減少しており、近年では祝い事などで鏡開きをする特別な酒という印象で日常酒から隔離されつつある。しかし、江戸の時代から庶民に愛され続けてきた樽酒は、継承すべき日本酒文化のひとつ。菊正宗は樽酒の存続にも力を入れており、樽職人を雇い入れて酒樽から自社で製造している。また、酒樽の素材には、香り高く木目が平均化しているため古くから酒樽に向いているとされる吉野杉を使用。芳醇な杉樽に酒を入れて数日間貯蔵し、さわやかな香気とともに和食を引き立てる成分が混ざり合う樽酒。これからもその奥深い魅力を解き明かしていき、新たな酒造りに活かしつつ後世に伝えることが私たちの役割ではないかと考えている。

  • 特集1 樽酒が料理におよぼす影響
  • 特集2 生酛の菌叢解析と乳酸菌の動態