生酛の菌叢解析と乳酸菌の動態

江戸時代から受け継がれる乳酸菌が現代の生酛を活かす。

ブームの生酛造り。うまさの基本は乳酸菌にあり。

近年、日本酒がブームになっている。国内はもとより、海外でもファンを増やし、2014年の日本酒輸出は過去最高を記録。日本人が長い歴史のなかで育んできた独自のうまさは、世界でも認められている。そんな日本酒ブームのなかで注目を集めているのが、江戸時代からの製法を受け継ぐ「生酛造り」。菊正宗がこだわってきた日本伝統の技だ。

生酛造りとは、アルコールを生む酵母を育てる「もと(酒母)」を水と米と米麹から手作業で丁寧に造り上げる製法で、その工程で活躍するのが「乳酸菌」。生酛造りでは、手間と時間をかけて自然のなかで生きている乳酸菌を取り込んで生育させ、その乳酸菌がお米に由来する糖を食べて乳酸をつくる。乳酸は他の雑菌を死滅させるが、乳酸に強い酵母はこのような環境下で増殖することができる。酵母が増殖を始めると、酵母が作り出すアルコールによって乳酸菌は滅ぼされ、やがて酵母の天下となる。そして、その強い酵母から生まれるのが雑味のない辛口の日本酒。酵母の土台づくりを担っている乳酸菌は、生酛造りの基礎であり、味わいの元でもあるのだ。

DNAが証明した、菊正宗乳酸菌の秘密。

生もとから造られる日本酒の構造の謎を科学的に解明している菊正宗酒造総合研究所では、乳酸菌の研究も進めている。生もとの乳酸菌には丸型の球菌L.mesenteroidesと細長い型の桿菌L.sakeiがあり、まずは球菌が生まれ、そのあとに桿菌が生育される(※図1を参照)。また、それら乳酸菌はDNAを持っているため、実験で各菌のバンドパターン、簡単に表現するとフィンガープリンティング(指紋)のようなものを検出して遺伝子的な関連性を検証(※図2を参照)。そこで、新たな事実を知ることができた。

菊正宗では20年前から各年の菌株を保管しており、今回の実験でそれぞれのバンドパターンを解析したところ、桿菌は毎年違うパターンが見られるのに対し、球菌は20年前と近年のものが同じパターンを示している。20年前の菌株しか保有していないため、それ以前のものと照合することはできないが、20年前と現代の菌のパターンが同じであるなら、もっと前から同じ菌であったと想定できるのではないだろうか。そもそも細菌にはたくさんの種類があり、人間と同じようにそれぞれが異なった性質を持っている。菊正宗独自のDNAを持った乳酸菌は、菊正宗が生もとで酒造りをはじめた江戸時代に誕生し、住み処を確保しつつ350年以上の時を経た現代でも生き続けているのである。

  • 図1.生酛における乳酸菌数の変化
  • 図2.RFLP-PFGE 解析

半切桶がタイムマシーンに?江戸時代と現代の乳酸菌を結びつける。

江戸時代から生き続けていると考えられる乳酸菌はどこにいるのか? 次の課題は乳酸菌の住み処を探すこと。「蔵つき酵母」という言葉もあることから、生もと造りを行う「嘉宝蔵」で探してみたが乳酸菌は採れなかった。さらに、さまざまな酒造用具を調査したところ、半切桶に菌が潜んでいることがわかった。

半切桶とは、蒸し米と水、米麹を仕込んで足で踏む、菊正宗独特の『酛踏み』をする桶。昔から使われている木製の桶には殺菌効果のある柿渋が塗られているため、カビなどの悪い菌は繁殖しにくく、乳酸菌にとっては居心地の良い場所だったのだろうか。また、現代では同じものを製造できないため、傷んでも取り替えず、修理をしながら使用しているため菌は住み処を失わずに生きてこられたのかもしれない。憶測に過ぎないが、半切桶がタイムマシーンのような働きをして江戸時代と現代の乳酸菌を結びつけ、日本酒の旨味を造り上げているのだろう。例えば、老舗うなぎ屋のタレは代々受け継がれてきた瓶で保存され、継ぎ足し続けることで独自のうまさを創造している。日本酒とは違う製法ではあるが、古来の道具を大切に使い続けて伝統の味を継承していくことは、日本の食文化を支えるひとつの知恵なのではないだろうか。

生酛由来 L. mesenteroides の RFLP-PFGE解析

日本人の味覚を育んできた乳酸菌が、日本酒にも息づく。

乳酸菌から生まれる食品というと、多くの人はヨーグルトを想起するのではないだろうか。ヨーグルトはミルクを乳酸菌や酵母で発酵させてつくるが、日本酒はミルクではなくお米を使っているため、いわばお米のヨーグルト。日本人が主食として親しんできたお米を使った乳酸菌食品なのである。

漬け物に代表されるように、日本では古くから乳酸菌を発酵させた食品が食べられてきた。また、味噌や醤油、酢など日本の主な調味料は乳酸菌と麹と酵母を基本材料とし、この3つの共生環境を利用してつくられている。乳酸菌の発酵が創出する深い味わいが、日本人の味覚を育んできたともいえるのだ。

今回の実験により、生もと造りで見出された乳酸菌が代々受け継がれ、さらにその年々の新しい乳酸菌も加わることで伝統と現在が融合した菊正宗独自の旨味を生みだしていることがわかった。今後も研究を続け、味への影響など生もとづくりにおける乳酸菌の働きを解明していきたい。

  • 特集1 樽酒が料理におよぼす影響
  • 特集2 生酛の菌叢解析と乳酸菌の動態