第8巻 酒と酒器

燗酒用の酒器と盃洗

A)燗酒用の酒器

1.燗鍋

有名な白楽天の「林間煖酒焼紅葉」は和漢朗詠集にあり、平安朝の頃には既に酒を温めて飲むことが行われていたことが想像できます。
中世では鉄鍋が一般的な厨房器であり、江戸時代になって酒を温める鉄器・燗鍋が造られ、それが鉄銚子へと変わっていきます。そして鉄製から銅製の鍋と変わり、燗鍋を火にかけて酒を温めて銚子・徳利に移しました。
直接火にかける直燗(じかかん)は、温度の加減が難しいため、次第に湯煎による間接の燗の方法へと変わってきました。

燗鍋(銅製)大正時代

2.ちろり

江戸後期頃より「ちろり」という把手の付いた筒形銅製(約一~二合入)の器を、薬罐または銅壺に入れて湯煎して燗をし、銚子・徳利に移すようになりました。居酒屋では燗酒をちろりから直接茶碗に注いで飲みましたが、下賤とされました。
湯煎にすることにより酒の焼けるのを防ぎましたが、熱燗、ぬる燗も酒徒の関心の寄せるところとなり、有名な料亭では燗番という専任者を配して気を遣いました。

左 ちろり(銅製)大正時代
右 手提げ銅壺(どうこ)で「ちろり」を湯煎する 江戸時代後期

3.たんぽ

ちろりのようなふたのない燗器を言い、京坂では「たんぽ」と称し錫製が多く見られました。直接酒を盃に注ぎ、現在でもおでん屋などで使われています。

錫たんぽ 大正時代

B)盃洗(はいせん)

共飲の風習がある日本では、神聖なる酒を一つの盃で飲み合うことにより、心と心が結ばれると信じられてきました。 夫婦固めの盃や酒宴で、大盃の回し呑みが行われてきましたが、次第に盃が小さくなってくると、盃の献酬をする方法も変わってきました。
客をもてなすには、盃をさしたり頂戴することが礼儀となり、取り交わす盃を洗う器「盃スマシノ丼」が江戸後期から現れ、明治になってこれを盃洗と呼ぶようになりました。
今日多く見られる型の盃洗は江戸後期からのものです。

盃洗 江戸時代後期