第6巻 日本酒の歴史(前)
奈良・平安期から中世の酒
1.奈良・平安の酒
奈良時代後半から平安時代にかけて、宮中での酒造りが確立しました。
延長5年(927年)に定められた「延喜式(えんぎしき)」には「造酒司(さけのつかさ)」の条文があり、酒の種類や仕込み配合等が詳しく記述されています。
以下に一部を紹介します。
- ⅰ. 御 酒(ごしゅ):冬に仕込み、4回しおり(搾ったり、濾すこと)、甘口で酸の少ない澄み酒
- ⅱ. 御井酒(ごいしゅ):初秋の仕込、濃厚甘口の澄み酒
- ⅲ. 醴 酒(れいしゅ):汲水の代わりに酒を使う盛夏用の甘い酒、味醂・白酒の原型
- ⅳ. 三種糟(さんしゅそう):麦芽・米麹を併用、うるち・もち・モチアワを用いた味醂系の酒
- ⅴ. 白酒・黒酒(しろき・くろき):新嘗祭(にいなめさい)用の酒。久佐木灰(くさぎばい)を入れたものが黒酒、入れない方が白酒、共に大篩(おおふるい)で濾過した。
2.中世の酒
貴族の時代が終わり武士が台頭してきた頃、酒造りの世界でも大きな変化が起こりました。 それまで一般的だった自家製の濁酒が次第にすたれ、造り酒屋が生まれてきたのです。
またこの時代は貨幣経済が大いに発達。そのため商品としての酒の生産が増え、京では金融業を兼ねた「土倉(どそう)」と呼ばれる造り酒屋が軒を連ねました。
鎌倉時代に続く南北朝時代には戦乱のため、朝廷・幕府共に財政難になり酒に税がかけられるようになりました。室町中期の文献には、京都市内で実に300軒余りの造り酒屋の名が挙げられています。京で酒屋が発展したのは、諸国の貢米が三条室町の米揚(米の取引所)に集まったことと、幕府が酒屋からの税を重要な財源と考え、酒屋の発展を助成したからでした。
またこの頃寺院での酒造りも盛んになりました。いわゆる「僧坊酒(そうぼうしゅ)」です。僧坊酒も販売利益を目的としたため、良質の酒を造ることが必要でした。
僧坊酒によって酒造りの技術は大いに発達しました。既に酒母を造り蒸米・麹・水を仕込む「段掛け法」による酒造りが始まったことや、現在の速醸もとの原形となる「菩提泉(ぼだいせん)」が生まれたこと、又は「火入殺菌法」「三段掛け法」について記録が「多聞院日記(たもんいんにっき)」などに残っています。