第7巻 日本酒の歴史(後)

明治・大正の酒

明治維新以後、それまでの「酒造株」制度が廃止され、今までより安い免許料を納めるだけで自由に醸造できるようになり、多くの酒造家が生まれました。
明治20年代には灘・伏見の酒造家は、レンガ造りの蔵を建てたり、蒸気機関等の新しい設備を採用すると共に、合資会社や株式会社等の合理的企業組織へと脱皮をはかりました。

日露戦争以後には、自家用の濁酒の製造が禁止され酒造家保護の国策が採られましたが、これも「酒税」という国家財源を確保するのが主な目的でした。
実際、日清・日露戦争の戦費や新しい工業を興す資金として、大幅に酒税が増やされました。明治32年には国税の実に32%を酒税が占めていました。

酒造技術の面では、明治40年に組織された日本醸造協会の主催により第1回全国新酒品評会が行われ、その後も1年おきに昭和に至るまで開かれ、全国の技術者の研鑽の場になりました。
このことは一般の酒にも強い影響を与え、色の薄い、香気の高い酒質が生み出されるようになりました。