お酒のプロが答える日本酒なんでもFAQです。
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なぜ10月1日を「日本酒の日」としたのですか
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酒という文字はサンズイに酉(とり)と書きますが、酉は十二支の十番目にあたること、また、古くから10月1日を酒造元旦として祝う風習があり、日本酒がおいしくなるシーズン入りの日として定められました。
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なぜお酒飲みのことを「左利き(ひだりきき)」と言うのですか
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いろいろな説がありますが、大工さんが右手に槌、左手にノミを持つところから、「ノミ手」すなわち「飲み手」となったという説が強いようです。
その他に、独酌の場合、左手で盃を持つのが便利だから、また、名匠左甚五郎が酒飲みであったところから、などの諸説があります。
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「上戸(じょうご)」、「下戸(げこ)」とはどういうことですか
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お酒の好きな人、強い人を「上戸」といい、弱い人や飲まない人を「下戸」といいます。
これは、秦の始皇帝が咸陽宮(万里の長城という説もある)を築いた時、警備につく望楼を上戸、下の方の控え所を下戸といっていました。望楼勤務は、寒さが厳しいので酒を必要とし、そこの勤務者が酒に強くなったからといういわれがあります。
お酒飲みには、「笑い上戸」や「泣き上戸」といわれるようにいろいろ個性があるようです。
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酒を飲んで「くだをまく」とはどういうことですか
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お酒を飲んだ時に会話がくどくなる状態のことで、語源は「管を巻く」で、管というのは糸をよる糸車のことで、大きな音をたててぐるぐると同じことを繰り返すところからきています。あまり好ましい状態ではありません。
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「角打ち(かくうち)」とはどういうことですか
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「中山安兵衛角打ちの桝」というのが、今でも高田馬場の酒店に残されているそうです。のちの堀部安兵衛が叔父の仇を打つために、桝酒をひっかけて馳せつけた、という講釈の一節ですが、桝酒を飲むことを「角打ち」といったことがうかがえます。桝は角から飲むため、この言葉が生まれたと思われますが、角から飲むのが飲み易いからと考えられます。下唇を桝のふちに乗せ、すするようにして飲むのが本式だという話もあります。
なお、桝は四指の上に乗せるようにし、親指を軽くふちに掛けて持ちます。遊び手は、反対側の側面に添えます。九州地区では、酒販店での立ち飲みのことを「角打ち」と言うようです。
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酒造りで唄を歌ったのはなぜですか、現在でも歌っていますか
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酒造りにおいて唄を歌ったのは、作業にリズムをつける(調子をあわせる)意味が大きいが、時計のない時代にもとすり作業や櫂入れ時に時間を唄で計ったといわれています。ゆっくり間をとって歌うのが酒造りに適したといえます。
各作業によっていろいろな唄(桶洗い唄、もとすり唄、櫂入れ作業の風呂上がり唄など)があります。現在では作業中ではなく酒席で歌われることが多くなりました。
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「酒林(さかばやし)」とは何ですか
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「酒林(さかばやし)」とは、杉の葉を束ねて直径約40cmの球状にまとめたものをいい、古くは酒造家でその年の新酒ができたことを愛飲家に知らせるため、軒先に吊るされたものです。この習慣が次第に酒屋の看板として常に店頭に吊るされるようになりました。現在では、このような意味においての慣行はありませんが、酒神を祭る奈良県の「大神(おおみわ)神社」の神木が杉であるところから、酒造蔵などで見かけることも多くあります。看板代わりに用いられる場合には、直径70?80cmのものが用いられることが多いようです。
「椙玉(すぎだま)」ともいわれます。
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「千石船(せんごくぶね)」、「樽廻船(たるかいせん)」はいつ頃活躍したのですか
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千石船の中でも樽回船、菱垣回船(ひがきかいせん)は江戸時代の新鋭帆船で、海路の物資輸送には欠かせないものでした。特に、樽回船の江戸への大量輸送は有名で、灘から4~5日で江戸新川へ樽詰の酒が届けられたそうです。これは「下り酒」または「富士見酒」として有名です。
樽詰(3斗3升~3斗6升)を2000~3000樽も積んだところから千石船と呼ばれました。この回船は紀州のみかん、松前のこんぶなどの回送でも有名です。樽回船は、元禄頃までは菱垣回船として諸物資と酒を積んでいましたが、享保年間に酒専用の樽回船が出現し、安永年間には酒以外のものも積みました。
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「角樽(つのだる)」、「指樽(さしだる)」とは何ですか
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「角樽」とは結婚式などの祝宴の引出物(お祝)に利用され、現在でも使用されています(特に地方で)。
「指樽」は「菊正宗酒造記念館」でも展示していますが、矩形立方体の箱のような樽で、室町時代ごろから使用され、貴族が用いた樽といわれています。円型の樽が発明されていないころは、立方体の樽であったことが偲ばれます。