日本酒なんでもFAQ

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「清酒」とはどのような飲料ですか

酒税法によれば、「清酒」とは、(1)個有の清酒 米、米麹(こめこうじ)および水を原料として醗酵させて、こしたもの。(2)アルコール等添加清酒 米、米麹、水およびアルコール等を原料として醗酵させて、こしたもの。(3)清酒に清酒かすを加えてこしたもの。とあります。清酒は日本固有の致酔飲料であり独特の香、味は他に追随を許しません。温めて(燗をして)飲むのも特長です。

日本ではいつ頃から酒造りが始められましたか

日本酒醸造の歴史は古く、『古事記』、『万葉集』にも多く見られるように、稲作農耕文化の始まりである弥生時代(B.C.300~0年-2000年前)、中国大陸から米を原料とした酒造りの方法がもたらされました。室町時代には、全国的に生産されるようになりました(にごり酒から清酒が発明されたのは奈良朝時代といわれています)。灘では1350年頃から酒は造られたようですが、企業として酒造りが開始されたのは1620年代になってからのことです。

「灘五郷」とはどの地域を指すのですか

江戸時代・明和期頃より、下灘、上灘あたりが灘目と呼ばれ、文政期に上灘が魚崎郷・御影郷・西郷に分かれ、下灘・灘目三郷(なだめさんごう)・今津郷を灘五郷と称するようになりました。明治19年摂津灘酒造組合が設立され、下灘郷をのぞく地域に西宮郷を加え、灘五郷(西郷・御影郷・魚崎郷・西宮郷・今津郷)として確立しました。灘は現在の阪神間の今津から大石あたりまでを指します。

灘が酒造地として栄えた理由は何ですか

(1) 米(播州米-軟質大粒、酒造好適米-山田錦)
(2) 水(醗酵に微妙に働く硬水-宮水)
(3) 醸造に適した気候、風土(六甲おろしと大阪湾の温順さ)
(4) 六甲の急流を利用した大量の水車精米が行われたこと
(5) 丹波杜氏の技術と労働力
これらの五つの条件に恵まれたことが、灘成立の大きな要因といえます。
さらに江戸、大阪の消費地向けに便利な港(西宮港、今津港、御影港)に恵まれたこともあげられます。これら外的要因の他に、灘の心意気や研鑚努力は見逃せないものがあります。

灘の酒と伏見の酒の特徴、違いを教えて下さい

灘の酒は全般的に宮水という硬水を使用するため、荒々しい男性的な香味を特徴とします。伏見の酒は軟水を使用するため、おだやかな女性的な甘口酒が多いといわれています。菊正宗は灘酒本来の宮水と、酒造好適米の山田錦を用い、生酛づくりによる本格辛口酒として灘酒の特徴を守っています。

「丹波杜氏」とはどのような人たちのことですか、また杜氏は何をする人ですか

丹波杜氏は、主として灘地区へ出稼ぎに来る丹波(旧兵庫県多紀郡、現篠山市)出身の酒造りの季節従業員の長のことです。多年の経験による酒造技術とカンを持っており、大勢の季節従業員をよく統率して、良い品質の酒を造り出すのが仕事です。全国では、他に南部杜氏、越後杜氏、能登杜氏、但馬杜氏が有名です。一般的には季節従業員全般を指すこともあります。

菊正宗はいつから酒を造っていますか

菊正宗の創業は万治(まんじ)2年(1659年)に灘、御影において酒の醸造を始め、350年以上の歴史と伝統を持っています。約600年前、御影沢の井の水で酒を造り、後醍醐天皇に酒を献上し、ご嘉納になったので嘉納の姓を賜ったとのいい伝えがあります。「嘉納」とは、目上の者がほめ喜んで贈り物を受け取ることで、「献上品をご嘉納あらせられた」等の表現があります。

菊正宗の商標のいわれを教えて下さい、また正宗の語源は何ですか

菊正宗の酒銘のいわれは、明治17年に商標条令が発令された時、正宗印は競願が多く受理されませんでした。当時、当主の嘉納秋香翁が日夜酒銘に心を砕いていたところ、ふと庭前に咲く一輪の白菊を見て「菊は霜雪をしのいで、香気馥郁たる如く、よろしく万難を排して意気、ますます軒昂たるべし、菊なるかな」と感じ、酒銘に菊の字を冠して菊正宗としたものです。正宗という名は、「セイシュウ」の音が「清酒」に通じるところから、天保時代から多く使用されていました。

昔(江戸、明治時代)の日本酒と現代の日本酒は違っていますか

日本酒の分析は、公的には明治初期に初めて行われました。その結果と現在の日本酒とを比較すると、当時の酒が大変辛く、また、酸っぱいものであったことがわかります。あまりに辛くて、現代人が飛び上がるほどです。甘辛の測定値、日本酒度は、+17.0(現在は辛いものでも+10程度)。酸も多く、3.0ml~4.0ml(現在は1.5ml程度)。いかに辛く、酸っぱかったか、数字でも示されています。しかし、アルコール度数は、現在の日本酒とほぼ同じ程度で、約17度。確証はありませんが、江戸時代も、明治時代初期のものとそれほど変わらなかったのではないかと推定されます。

日本酒メーカーは、現在何社ぐらいありますか

昭和30年代には、4,000社を超えていましたが、以降減少がつづいています。平成26年度の清酒製造場数は、1,634場です(国税庁ホームページより)。